とてもよかったです。
原作を読んでいても、読んでいなくても満足できる
めずらしいパターン。
おおまかなストーリーは一緒。
9.11のテロで父親を亡くした少年オスカー・シェルが
遺品の鍵に合う穴を探して、
ニューヨーク中の「Black」という名前の人を訪ね歩く。
原作と違うところも
(親子三代の話はコンパクトになり、母親に男の影はない)
映画にまとめるならこうだな、と納得できた。
淡々とオスカーの目線で語る構成は踏襲されていて
心配していた「お涙ちょうだい演出」は無し。
でも、圧倒的な悲しみを飲み込みきれず、もがくオスカーを見ているだけで
どばどば涙が出た。
原作は、個性の強い端切れでつくられたパッチワークのカーペットみたいで、
独特の文体と重層的なストーリーに、混乱しながらもぐいぐい引き込まれる。
映画は、パッチワークの布をほぐして、その糸できれいに編みなおした感じ。
そうすることで、父親をなくしたオスカーのつらさが、
ストレートに伝わるストーリーになっていた。
特に、当日の電話のシーンは映像で見るとより強く胸をうつ。
こぼれたヨーグルト。窓からの日差し。天気の良い日だったんだな。
映画を観ながら、去年3.11の地震の少しあとで、
「悲劇が起こったときには、政治家や社会学者の発する言葉じゃなくて
小説家が書く物語が必要なんじゃないかと思う」
と話していたのを思い出した。
物語で、テロがなくなるわけではない。
でも、遺族の気持ちがすこしなぐさめられ、
オスカーの悲しみを共有した世界中の読者が
もう二度とこんなことが起こりませんようにと願う。
それだけで、空気はすこし変わる。
それは、物語にしかできないことなのだと思う。