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cakesオープンと師匠からのDM

きのうから、同じDMを何度も見てニヤついている。

文章の師匠の(と勝手に仰いでいる)古賀史健さんに原稿をほめられたのだ。

 

きのうはコンテンツプラットフォーム「cakes(ケイクス)」のオープン日だった。ぱちぱち。

 

 

私も、

茂木健一郎さんとハーバードの理論物理学者北川拓也さんの対談
「天才のつくり方」

投資家の藤野英人さんが実力ある経営者にインタビューをする
「イケてる経営者が日本を救う」

のライターとして携わっている。

どちらの企画も取材が毎回めちゃくちゃおもしろくて、

いい仕事に関わらせていただいているなあと思う。

 

ライターの古賀さんに会ったのは、2年前の夏。

前職の会社で担当した企画で

私は取材のコーディネートなどを担当し、古賀さんが原稿を書くというイレギュラーな体制だった。

そこで、古賀さんと同じ取材に入り、同じテープ起こしを読んで、

同じ条件でこっそり原稿を書いてみるというめずらしい体験ができた。

 

もう、どんだけ自分の原稿がしょぼいかはっきりわかった。

そして、古賀さんの原稿はおもしろすぎた。

しっかりした構造のストーリーとダンスのようなリズム。読み進めずにはいられない魅力があった。

それは、うちの会社に「こんなすばらしい原稿を書いているのは誰ですか」と

問い合わせがくるほどだった。

 

取材原稿って、こんなに人の心を動かすように書けるのか。

初めて目指すべき姿が見えた気がした。

同じ素材で、同じテーマについて書いているのに、なんでこんなに違うんだろう。

どの箇所をどう使ってどういう構造でストーリーを組み立てたのか。

そこにはどんな接続詞が使われているのか。

自分の原稿と照らし合わせながら、古賀さんの原稿を一字一句追っていった。

それはとても貴重な体験だった。

 

ライターは基本的に、文章の書き方を誰にも教わらない人が多いと思う。

朱字を入れてもらうことはあっても、そもそもの素材(取材内容)をどう料理するか

という部分は手取り足取り教えてもらえるものではない。

しかも、ライターとしてどういうキャリアを積んでいくべきかも、ひとりで模索していくしかない。

偶然にも、こんな文章が書きたい、こんな仕事がしたいという

2つを兼ね備えた先輩ライターに出会えて幸運だった。

 

ケイクスの原稿も、書いている時に、ケイクスを立ち上げた加藤貞顕さんとの対談記事を読み

「うおー、対談ってこんなにおもしろくできるのか」と

刺激を受けて、けっこう書きなおした。

 

そんな道標みたいな古賀さんからもらった「原稿うまくなったね」の言葉は

なんかものすごくうれしかった。

 

古賀さんのケイクスの連載はこちら。

文章ってそういうことだったのか講義/古賀史健

 

これまた文章を書く人にはものすごくためになる。

読んで、こんなに「書く」行為を意識化してやってるとか古賀さんやばいわ……と、

目指している山の高さを思い知った。

私はまだ感覚的に書いている部分が多いな。

うーうー、がんばろう。

2012.9.12

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踊りを見れば、彼女がわかる

(C)2010 NEUE ROAD MOVIES GMBH, EUROWIDE FILM PRODUCTION

『pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』

http://pina.gaga.ne.jp/ (音注意)

 

天才舞踊家といわれ、世界中に熱狂的なファンがいたピナ・バウシュ。

バレエと演劇の垣根を取り払った彼女の作品は

言葉がないのに叫びが聞こえるような激しい感情と観たことのない身体表現に満ちている。

しかし、2009年に彼女は癌でこの世を去る。

20年来の友人であるヴィム・ヴェンダースと約束していた

映画の企画をのこして−−。

 

ずっと観たい観たいと思いつつ、機会を逃していた作品。

やっと観られた! そしてすごくよかった!

 

彼女の人生を追うとか、舞台裏にせまるとかではなく、

彼女が率いたヴッパータール舞踊団の作品を断片的に見せるシーンと

舞踊団のダンサーがソロもしくはペアで踊るシーンで構成されていてうれしかった。

ドラマチックなカメラワークで、思う存分ダンスを堪能できる。

抱き上げる腕から落ちてまた抱きしめ合う動きを繰り返すダンスなど

いろいろ印象に残っているシーンがあるけど、

やっぱりドキッとするのは

自分の身体を物みたいにあつかう女性ダンサーの動き、だなあ。

 

ソロ・ペアで踊るシーンの映像がとにかくカッコいい。

道路、モノレールの中、工場、プールサイド、川縁、崖と

踊ってるひとなどいないはずの場所でパフォーマンスが行われるさまは

スリリングで、シュールで、美しい。

インタビュー時には整った顔立ちで静かな佇まいの団員たちが、

ダンスになると、ものすごく感情的に身体を投げ打つ。

インタビューで「ピナは私達を解放してくれた」という言葉があって、

秘めた激しい感情を表現するすべを、この人達は手に入れたんだ、と思った。

 

観たあと、跳んだり、這ったり、誰かを抱きしめたくなる作品。

東京では、ヒューマントラストシネマ有楽町とシネ・リーブル池袋で上映中。

 

2012.5.3

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私には何もないとか言ってるひまがあったら働け

なおこさんのごはんは、おいしい。

私の知るかぎり、家ごはんのなかでは、一番。

なおこさんのごはんを最初に食べたのは、12年前のニューヨークだった。

 

なおこさんは、高校の友人の母(大学教授)の教え子で、

短期的にがーっと稼いでは

海外を何ヶ月も旅行するというなんとも羨ましい生活を送っていた。

私が留学中の友人宅(母同居)に滞在していたとき

ちょうど、なおこさんもそのニューヨークのマンションに居候していて

そこで出会ったのだった。

 

マンションのダイニングで、4人で朝食を食べていたとき、

ふと、話題が過去にとった賞歴の話になった。

私を除く他の3人はスポーツやらなんやら

輝かしい賞を当たり前のようにとっていて(だからそういう話題になるのだが)

ふと、私は自分には何もないことに気づいて口をつぐんでいた。

とてもみじめな気持ちで、ガリガリとベーグルにバターを塗った。

暗い感じで「私には何にもないし」とあえて言ったような気もする。

ああ、小さいなあ、17歳のわたし。

 

今回、なおこさんのごはんをみんなでわいわい食べているときに

引け目を感じなくなっていることに気づいた。

相変わらず賞歴は何もないけれど

ライターという仕事をしているおかげで

こういった人が集まる場で話すネタには事欠かない。

単純に忙しくなったのだ、とも思う。

「私には何もない」と後ろを向いているひまがあったら、働くよ。

 

なおこさんのごはんは相変わらずおいしくて、

「リス子ちゃん」と呼んでくれるあだ名も高校生から変わってない。

でも、あの頃とは違って少しずつ人生の基盤が私のなかにできてきているんだなと思った。

女子がよくもっている「何もないコンプレックス」は

仕事で自信がつきました!なんてまとめで解決できるようなものじゃないけれど

大人になるとうすれていくものなのか、

としみじみしたアラサーの午後だった。

 

 

2012.4.12

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映画もよかった。めずらしい。

映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

とてもよかったです。

原作を読んでいても、読んでいなくても満足できる

めずらしいパターン。

(C)2011 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC

 

おおまかなストーリーは一緒。

9.11のテロで父親を亡くした少年オスカー・シェルが

遺品の鍵に合う穴を探して、

ニューヨーク中の「Black」という名前の人を訪ね歩く。

 

原作と違うところも

(親子三代の話はコンパクトになり、母親に男の影はない)

映画にまとめるならこうだな、と納得できた。

淡々とオスカーの目線で語る構成は踏襲されていて

心配していた「お涙ちょうだい演出」は無し。

でも、圧倒的な悲しみを飲み込みきれず、もがくオスカーを見ているだけで

どばどば涙が出た。

 

原作は、個性の強い端切れでつくられたパッチワークのカーペットみたいで、

独特の文体と重層的なストーリーに、混乱しながらもぐいぐい引き込まれる。

映画は、パッチワークの布をほぐして、その糸できれいに編みなおした感じ。

そうすることで、父親をなくしたオスカーのつらさが、

ストレートに伝わるストーリーになっていた。

特に、当日の電話のシーンは映像で見るとより強く胸をうつ。

こぼれたヨーグルト。窓からの日差し。天気の良い日だったんだな。

 

映画を観ながら、去年3.11の地震の少しあとで、

ライターの古賀さん

「悲劇が起こったときには、政治家や社会学者の発する言葉じゃなくて

小説家が書く物語が必要なんじゃないかと思う」

と話していたのを思い出した。

物語で、テロがなくなるわけではない。

でも、遺族の気持ちがすこしなぐさめられ、

オスカーの悲しみを共有した世界中の読者が

もう二度とこんなことが起こりませんようにと願う。

それだけで、空気はすこし変わる。

それは、物語にしかできないことなのだと思う。

2012.3.13

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こんなに危なかったのか。

 

ワイキューブ元社長安田佳生さんの

『私、社長ではなくなりました。 』を読んだ

 


私、社長ではなくなりました。 ― ワイキューブとの7435日

 

自分が新卒で入社した会社の

壮絶なキャッシュ・フロー経営の内幕が明かされていた。

あわわわわ。

利益が出ていないのに、借り入れたお金をブランディングと採用にどんどん使う。

そう、『一億円かけて十人しか採用できなかった年もある』とは

私の代のことですね。

そして、ワークシェアという名の自宅待機をきっかけに辞めた社員です。はい。

 

全体を通して、

無茶な施策をうって、失敗するという展開の繰り返しなのだけれど

文章のうまさと安田さんの絶妙にねじれた発想がおもしろくて

するすると最後まで読める。

 

そして、あとがきでほろりとした。

つらいことも多かったけど、正直言って楽しかったという安田さんの告白。

 

− 大好きな人たちに囲まれながら、大好きなオフィスで仕事をする。

これ以上の幸せがあるだろうか −

 

私も本当にそうだった。

豪華なオフィスは、無駄じゃなかったよ、安田さん。

あの場所でみんなと働くのはとてもすてきなことで、毎日会社に行くのが楽しかった。

社会人、そして仕事は楽しいものなんだと、新卒の会社が教えてくれてよかった。

 

そんなワイキューブの事業を継いだ

カケハシ スカイソリューションズではいま、

ミートボウル(meet bowl)というおもしろい採用方法を提案している。

 

得意なことで勝負する。新しい就活スタイルを提案するサイト。

http://www.meet-bowl.com/

 

雀鬼採用、ご指名No.1採用、強豪チームの万年補欠採用、など

エッジのきいた応募条件で、これまでの採用ではこぼれてしまう才能に光をあてる試みだ。

 

安田さんはもう社長じゃないけれど、

ユニークなマインドは脈々と受け継がれている。

やっぱりここは「特別な会社」なんだと、私は思う。

2012.3.8

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